大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宇都宮地方裁判所 昭和42年(ワ)146号 判決 1972年9月06日

原告 国

訴訟代理人 筧康生 ほか四名

被告 飯野茂

主文

一、被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地につき所有権移転登記手続をせよ。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告指定代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原告(当時の所管庁は陸軍省)は被告から昭和一九年一〇月ごろ別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という)を、陸軍の施設用地(中島航空機教育居住施設の敷地)として反当り(九九〇平方メートル当り)金七一〇円で買受けた。

二、よつて原告は被告に対し本件土地につき右売買を原因とする所有権移転登記手続をすることを求める。

と述べ、被告の仮定抗弁を争い、立証として、

甲第一号証の一、二、第二ないし第一四号証を提出し証人岡田恒房(第一、二回)、同福岡一郎(第一、二回)、同飯塚年雄、同高田高一郎、同大屋政夫、同大関義蔵、同菅春見、同岡田良の各証言を援用し、乙第一号証の成立は認める、同第二号証の原本の存在と成立を認める、同第三、第四号証の成立は認める、同第五号証の一ないし三の原本の存在と成立を認める、同第六号証の一、二、同第七号証の一、二の成立はいずれも認めると答えた。

被告訴訟代理人は、「本件訴を却下する。」との判決を求め、本案前の抗弁として、

一、原告は当事者適格がない。原告は本件土地を昭和一九年一〇月ごろ、陸軍の施設用地(中島航空機教育居住施設の敷地)として買収したというが、昭和二〇年八月終戦と同時に陸軍省は廃止され引継ぎは行なわれていないのであるから原告には当事者適格はない。

二、原告の本訴は訴の利益がない。原告の本件土地の買収目的は軍用目的たる中島航空機教育居住施設の敷地としてであるが、右目的は終戦により消滅したのであり、かつその後も軍用地としては使用されていないのであるから原告が本件土地を保有すべき合理的理由も、必要もない、したがつて本件訴の利益はない。

と述べ、本案につき、

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、

請求原因第一項は否認する。本件土地を含む、付近一帯の土地につき陸軍の施設用地として買収計画があつたけれども、中途で終戦となり、右計画はそのまま立ち消えとなつてしまつた。したがつて、原・被告間には本件土地の売買契約は結ばれていない。請求原因第二項は争う。

と述べ、仮定抗弁として、

一、原告の本件土地の買受目的は軍用目的たる航空機教育居住施設用であるが、右目的は目本国憲法第九条の陸海空軍の戦力保持禁止に反する。また本件売買は戦時中に軍が半強制的に、はなはだしい廉価をもつて買収したもので同憲法第二九条に保障する財産権を不当に侵害する契約である。したがつて、いずれにしても本件売買契約は無効である。仮りに有効だとしても原告の移転登記請求は右憲法の各条項に違反し、公序良俗に反するから権利濫用として許されない。

二、昭和二〇年九月二日のポツダム宣言受諾により、軍関係の一切の機関は廃止され、これに伴い軍関係の法律行為はその効力を失つた。したがつて本件土地の売買契約も無効である。

と述べ、立証として、

乙第一ないし第四号証、第五号証の一ないし三、第六号証の一、二、第七号証の一、二を提出し、証人石戸松太郎、同飯野惣助、同岡田恒房(第一回)、同野沢忠市、同伊沢三郎、同戸崎長蔵、同小林武男、同佐藤次雄の各証言および被告本人尋問の結果を援用し、甲第一号証の一、二の原本の存在成立ともに否認する。したがつて写(認証なき謄本)であることも否認する。同号証は写であるというが原本が存在しないものであるから、民事訴訟法第三二二条に反し、証拠資料となし得ない。同第二号証の成立は認めるが、同号証は同第一号証の一、二に基づいて作成したものであるから、信用性がない、同第三号証、同第四号証の成立は認める、同第五号証の成立は不知、同第六号証、同第七号証が公図の写であることは認める、同第八号証が本件土地およびその周辺土地の実測図に終戦当時存在した建物の配置状況を記入した図面であるかどうかは不知、同第九号証、同第一〇号証の成立はいずれも不知、同第一一ないし第一四号証の成立は認めると答えた。

理由

被告は、妨訴抗弁として原告には当事者適格がないとか、本件

訴の利益はない旨の主張をしている。しかしながら、本件は私法上の権利関係を訴訟物としているものであるところ、陸軍省はかつて国の一行政機関であつたに過ぎず、それ自体として私法上の権利義務の主体となることはできないもので、その権利義務の主体はあくまで国であるというべきであるから、旧陸軍省が廃止になつたからといつて、本件につき原告国に当事者適格がないというべきものではない。また軍の施設用地にするという買収目的が消滅したからといつて、本件訴の利益がないとはいえない。

証人福岡一郎(第一、二回)、同岡田良の各証言および弁論の全趣旨により真正に成立した原本がかつて存在し、その写(認証なき謄本)であることが認められる甲第一号証の一、二(被告は、本証につきその原本の存在と成立を否認し、かつ原本の存在しない文書は民事訴訟法第三二二条に反するから証拠資料たり得ない旨主張する。そして原告は原本は存在しないが、写がたまたま存在したということで、写(認証のない謄本)を原本として提出しているものなるところ、このような場合真正に成立した原本がかつて存在したことが明らかであるときは、これと同一内容(正写したことが明らかである)の写を原本として提出しても右法条に反するものではないというべきである。原本が滅失しても、その写(認証のない謄本)により原本の記載内容を推知し得べきとき(正写されていることが明らかなとき)はその写を証拠資料とすることができると解すべきである。しかして右両証言を総合すると、本証は旧陸軍省航空本部の係官が当時の横川村役場(吏員)に依頼して作成させた文書(陸軍航空本部が保管していたが終戦時焼却し現存しない)の役場保管にかかる控(右原本と同一内容のもの)を戦後東京財務局宇都宮管財所に勤務していた前記岡田が横川村役場において正写したものであることが認められる、したがつてこれによつて右原本の記載内容を十分推知することができるので証拠資料たり得るもので、被告の右主張は理由がない。)、成立に争いのない甲第二ないし第四号証、証人岡田恒房(第一、二回)の証言および弁論の全趣旨から真正に成立したと認められる甲第五号証、本件土地を含む周辺の土地のいわゆる公図の写であることに争いのない甲第六、第七号証、証人菅春見の証言から、訴外菅春見の作成した本件土地を含む周辺一帯の終戦時に存在した建物配置図であることが認められる甲第八号証、証人福岡一郎(第一、二回)、同岡田恒房(第一、二回)、同飯塚年雄、同高田高一郎、同大関義蔵、佐藤次雄、同大屋政夫、同飯野惣助の各証言を総合すると、昭和一九年一〇月ごろ陸軍では栃木県河内郡横川村上横田(現在は宇都宮市上横田町)付近に中島航空機整備教育居住施設を建設する必要に迫られていたこと、そのため、陸軍省航空本部経理部は、右施設用敷地の買収計画をたて、同部施設課経営科をして買収交渉を進めることにしたこと、よつて同科買収班所属の係官である訴外福岡一郎、同岡田恒房らが当時の横川村役場等へ出向き、航空写真による地形図、参謀本部作成の五万分の一の地図と公図、土地台帳などを照合し、買収予定地を特定、地主名、地上物件の態様などを調査したこと、しかしてその予定地内に被告所有の本件土地も含まれていたこと、予定地は一人の所有地だけではなく、数名がそれぞれ所有しているものであつたが、右係官らは個々の地主と別々に買収交渉をすることはせず、一括交渉の方法をとつたこと、そのため、同係官らは当時予定地の地主達全員に村役場に集合してもらい、村長、役場の土地係吏員ら立会いの上、陸軍の右計画を説明して買収に応じてくれるよう頼んだこと、その結果反対はなく地主全員が承諾し、前記岡田ら係官の呈示した土地売買承諾書に全員署名押印をしたこと、被告の場合は当時未成年者だつたので法定代理人が被告を代表して出席したこと、その後岡田ら係官は現地に立入り測量をし、付近の地価などを調査し、その結果、買収単価として山林、畑地については反当り金七一〇円、宅地については坪当り金三円が相当であると算定し、原案を作成して、陸軍大臣の認可を受けたこと、そこで岡田ら係官は横川村吏員に依頼して地主名、買収土地、面積、単価、買収代金額等を記載した買収調書を作成させた上で、再び地主らを呼び集め右調書に基づき認可を受けた右買収価格等を発表したが、地主らからは異議はなく、集つた地主全員その場で同係官らの呈示した登記承諾書に署名捺印をしたこと、被告の場合は法定代理人が出席したこと、その後まもなく、本件土地をはじめ右土地には軍事用の建物数棟が建設され終戦後まで現存していたこと、当時は戦局の窮迫と終戦時の混乱などのため右土地のごく一部を除いて所有権移転登記はなされていなかつたこと、戦後東京財務局宇都宮管財所がこれを陸軍航空本部より引継ぎ、進駐軍の調査命令にしたがい旧軍用財産として報告し、以来旧軍用財産として管理され、国有財産台帳にも一括登載されていること、終戦前後ころ右土地の一部地上物件(立木)について横川村々長を通じて代金の支払いがなされている事実があること、前記承諾書等の現存しないのは終戦時軍が焼却してしまつたからであること、以上を認めることができる。しかしてこれらによると、単に原告国の軍用地買収計画があつたに過ぎないというべきものではなく、原・被告間には昭和一九年一〇月ごろ本件土地について売買契約が成立したと認めるのが相当である。

証人飯野惣助、同大屋政夫の各証言のうち、右認定に反する部分および証人野沢忠市の証言、被告本人尋問の結果は他の諸証拠および弁論の全趣旨に徴し措信しがたく、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。もつとも成立に争いのない乙第二号証の欄外には「買収未済」という記入があるが、証人岡田恒房(第一、二回)および同福岡一郎(第二回)の各証言に照らし、右記載は登記手続未済の趣旨であることが認められるので前記認定と矛盾するものではない。

被告は、抗弁として本件売買契約は、本件土地を旧軍用地として買収したもので戦力保持を禁止した日本国憲法に抵触して無効だとか、ポツダム宣言受諾により軍関係のなした法律行為は無効になつたとかの趣旨の主張をしているが、かつて軍の施設用地として買収した土地であるからといつて日本国憲法下において同買収行為が無効となると解すべき理由はどこにもなく、また同買収目的のゆえに、右に基づく所有権移転登記請求が公序良俗に反し権利濫用になるというべきものではない。またポツダム宣言受諾により軍関係の一切の機関が廃止されたからといつて、旧軍関係のなした法律行為が一切無効になるとはいえない。

被告は、本件買収は戦時下、軍が半強制的になしたものであり、かつ不当に廉価をもつて買収したものであるから、日本国憲法第二九条に保障する財産権を侵害するものであるから無効であるとか、同契約に基づく本件移転登記請求は公序良俗に反し権利濫用として許されないなどと主張するけれども、前示認定のところによつてみるに本件買収契約が軍によつて公序良俗に反する程に強制的になされたとは認めがたいし、当時において不当に廉価で買収されたとも認められないので、この点に関する被告の主張は理由がなく採用できない。

そうだとすると、被告は原告に対し本件土地につき売買による所有権移転登記をする義務があるので、原告の本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三井喜彦)

物件目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例